どうも、ビルメンひとりです。
このブログで何度か話してるけど、僕は発達障害を持っている。
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僕の障害が分かったのは25歳の時で、それまでは普通?に健常者として過ごしてきた。
今回は、その当時の事について記事にしていく。
発達障害が分かる前の話
僕は小さい頃から本当に普通の事が出来なかった。
学校では集団行動が出来なくていじめられるし、整理整頓が出来なくて学校でも忘れ物ばかりだった。
そうすると、親や教師は僕を怒る事が多くなって、当然僕は辛い思いをする事になる。
僕だって怒られたくないから一生懸命ちゃんとしようと頑張ったのだけど、普通の人には簡単な事が僕にはとても難しくて、全く出来るようにはならなかった。
要するに、一生懸命頑張っても報われずに怒られ続けている訳だから、僕の自尊心が育たずに低いままなのは仕方ないのかなと思う。
そして、この辛い状況は学校を卒業して、社会人になった後も全く変わらなかった。
相変わらず集団行動が出来なかったからどの職場でも腫物扱いされていたし、電話番やコピー取りの様な簡単な仕事もできなくて、解雇や退職せざるを得ない状況が続いた。
実際、25歳までの3年間で5回転職しているから、短期離職を相当繰り返しているのが分かると思う。
以上が僕の発達障がい者になる前の話。
発達障害が分かったきっかけ
発達障害の診断を受けた時、僕は非破壊検査の会社で検査員をしていた。
その会社は全国の石油プラント相手に検査をする会社だったんだけど、僕は相変わらず仕事はできないでいた。
流石に電話番はできる様になってたけど、作業の日時を間違ってしまったり、検査器具を忘れて帰る事が多発していて、毎日怒られてばかりだった。
僕が自分の発達障害を疑ったのは、同僚の息子さんが発達障害の診断を受けた話を聞いたからだ。
話を聞くと、同僚の息子と僕の困り感がかなり似ていた為、僕も発達障害があるのではないかと疑い始めたのだ。
それまで発達障害の名前くらいは知っていたけど、まさか自分が発達障害だなんて考えた事もなかった。
そして、その話を聞いてすぐに発達障害専門の病院に連絡し、発達障害の検査の予約をした。
当時は大人の発達障害を見てくれる病院が少なくて、検査を受けるまでに3か月もかかってしまった。
そして、人生初めての精神科に行く事になる。
精神科で発達障害の診断を受ける
検査を受けに精神科の病院に行った時は、ものすごく緊張した。
初めての精神科という事もあって不安感が強かったし、今まで感じた困り感の答えが分かると言う期待もあったからだ。
その病院では、まず医師の問診から始まった。
母子手帳や小中高の通信簿を医者に見せながら、学生時代の出来事や仕事で困っている事について質問を受けた。
正直、それまでの人生は辛い事の連続だったから、過去を思い返すたびに辛い記憶が蘇ってきて、目頭が熱くなった。
その後、臨床心理士によるWAISの知能検査をうけた。
今はWAIS-Ⅳだけど、僕が受けたのは10年近く前だからWAIS-Ⅲだったと思う。
基本的には臨床心理士さんの質問に答えたり、パズルを組み立てるみたいな作業をした気ががする。
(うろ覚えでゴメン)
結果としては「言語性IQ:100・動作性IQ:82」という事で、動作性IQが低いとの事だった。
知能検査の結果だけで発達障害の診断は出来ないけど、明らかに能力がアンバランスであると臨床心理士から言われた。
その検査の後、もう一度病院に行って検査の結果を聞きに行った。
(ちなみに、一度サボってしまい、1万近く余計に金を取られた😅😅)
その結果、僕はアスペルガー症候群とADHDの診断が下された。
要するに、僕は生まれながらにして障害者だったわけだ。
医師曰く、大人の発達障害は診断しにくいと言う前置きはあったけど、現在の困り感や知能検査の結果を参考にすると、十分発達障害の診断をしていいレベルだそうだ。
こうして、今まで感じてきた困り感や辛さの理由がはっきりしたのだ。
まとめ
今回は僕が発達障害を受けた時の話を記事にしてみた。
本当はその時思った事も書こうと思ったんだけど、大分長くなったから別記事で書く予定だ。
今の僕は発達障害についてさほど重要視していないけど、障害の診断を受けた時の事は今でも鮮明に覚えている。
当時は生きづらさの理由が分からなくてヤキモキしたけど、それが分かった時はとても衝撃だったのだ。
診断を受けて良かった事と悪かった事の両方があるけど、今考えると勇気を出して診断を受けて良かったと思っている。
この記事を読んで、一人でも診断を受ける勇気が持てたなら、それは無茶苦茶嬉しいな。
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