どうも、ビルメンひとりです。
前回の記事では、僕が発達障害の診断を受けた時の事を記事にした。
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要約すれば、社会に生きづらさを感じた雑魚が同僚の息子が発達障害の診断を受けた話を聞いて、検査を受けたら障害があっただけの話だ。
大した事じゃないとは言え、僕の人生の転機になった出来事だから、今回は発達障害の診断を受けた当時に思った事、感じた事を記事にしてみたい。
努力不足じゃなかった事への安堵感
診断を受けた時に一番最初に出た感情は安堵感だった。
それは、自分が簡単な事すら出来ないのは努力不足ではなく、障害のせいだったと言う安堵感だ。
それまでの僕は、普通の人なら簡単に出来る事が出来ない自分を努力不足だと思っていた部分がある。
だからこそ、学校や会社で失敗すると自分自身を責める事が多かったし、無理をして空回りする事も多かった。
でも、今まで自分が出来なかった事は障害のせいだと分かって、自分を責めなくて良い事がスゴク嬉しかった。
また、生きづらさの原因が分かれば対応策も練れるし、発達障害は薬を飲めばよくなるから、これからは辛い人生を送らなくて済むとも思った。
そう考えると、この診断は僕からすると天からの祝福であり、初めて人生で前向きになれた瞬間だったと思う。
障害者である事に落ち込む
障害と診断されて安堵した半面、障害と言われて落ち込んでしまった部分もある。
僕は自分が発達障害だと確信して病院に行ったわけだけど、実際障がい者認定されると結構ショックが大きかった。
例えると、大学の記念受験で落ちる事は分かっているけど、実際不合格通知を貰うと無茶苦茶ショックを受ける様な感じだ。
25年間の人生を否定された気分になって、僕のアイデンティティが脆く崩れ去る音がした気がする。
診断を受けた時は安堵感の方を強く感じたけど、今考えると深層心理的にはかなりのショックを受けてたんじゃないかと思う。
実際、その後すべてに対して卑屈になったり、全て他人が悪いんだみたいな考え方になったから、心の奥底では悲しかったのだと思う。
発達障害を免罪符にしようと思った
今考えると、これはとても恥ずべき事なんだけど、勇気をもって告白する。
これは診断を受けた瞬間の話じゃないけど、診断を受けた当時の僕は発達障害を理由に今までの復讐をしようと思っていた。
今まで障害のせいで苦しんだのだから、障害を免罪符にハチャメチャしてやろうと思った。
だから、親に対して障害を理由にすねをかじりまくっていたし、職場でも発達障害を盾にしてやりたくない仕事は全部拒否していた。
(一般枠で入社してるんだから、マジで最悪だと思う。)
また、学生時代からの数少ない友達にも障害を盾に傲慢な態度を取ったから、みんな僕と絶交してしまった。
(今考えても、当時の友達には申し訳ないと思っている。)
結局、自己肯定感が低い人間が発達障害と言う免罪符を得た結果、全てが思い通りにならないと気が済まない暴君になってしまったのだ。
今考えても、この時の自分はクソだと思うし、二度と障害を免罪符にする様な人間にはなりたくないなと本気で思っている。
まとめ
今回は発達障害の診断を受けた当時に思った事を記事にしてみた。
今考えると、僕は発達障害の診断を受けて良かったなと思っている。
僕が出来ない事を努力不足で責める事は減ったし、自分の苦手を避ける事に注力して、何とか一般枠で働けるようになったからだ。
でも、診断を受ける事は良い事ばかりじゃなくて、自分が障がい者であると言う重い現実と向き合う辛さもある。
でも、人生をより良く生きるには遅かれ早かれ自分と向き合うのだから、診断を受ける辛さはハシカみたいなモノで、出来るだけ早く受けた方が良い。
だからこそ、生きづらさを感じる人には診断を受けて、前向きに人生を歩んで欲しいなと思う。
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